Saturday, January 28, 2012

大戦の最中で

「鎖鋪」とは錠と鍵のこと。
外敵の侵入を防ぐ要地という意味がある。
その後の急成長ぶりが、前記の社史にはこう書かれている。
「明治30年以降の経済事情を概括してみると、まず、移住民(とくに屯田兵制度の活用)が急増したことがあげられる。
20年から28年までの人口増加率は年率約10パーセントに達し、これは世界史上、オーストラリアにおける金鉱発見後10年間の年間増加率12パーセントにつぐ高率で、人口は明治34年に100万人を越え、大正元年末には170万人に達した」明治維新後の新政府は、国土が狭く、食糧の自給もままならない資源小国の日本を豊かにするために、北海道の開拓に力を入れた。
北海道の開発が軌道に乗り、穀物を中心に食糧が増産され、さらには諸産業が活況を呈するようになると、資金需要も旺盛になった。
そして、第1次世界大戦後、北海道経済は好景気に沸き、農業、林業、水産業、鉱工業が活況を呈し、経済が飛躍的に拡大した。
また、石炭では明治末期から大正初めにかけて3菱ぴぱい鉱業の美唄鉱・大夕張鉱への進出をはじめ、12井鉱山、住友鉱業(現住友石炭鉱業)など財閥資本の進出が相次いだ。
同時に石炭や木材を運ぶ足が必要だったため鉄道網の整備も進み、水産物、林産物、農産物の商品流通網も整備され、北海道経済の骨格ができあがった。